おくすり千一夜 第三十一話 歯並びから見た人の食性
動物の歯並みを見るとその食性がよくわかります。蛇は獲物を丸飲みにし易いように上顎と下顎に二組の鋭い牙があります。獲物を噛んで食べる習性は有りません。獲物が大きければ顎を外して飲み込んでしまいます。後はお腹が消化してくれるのを寝て待つだけです。肉食獣の虎やライオンの歯はどうでしょう。獲物の肉を噛みちぎるのに便利な犬歯が発達しております。彼らが一番好むのは肉より内蔵です。必要な栄養が一杯詰まっているからです。草食性の牛や羊はどうでしょう。植物の葉や茎を喰いちぎるのに便利な前歯はありますが犬歯がありません。牛では下顎に前歯がありません。その代わり食物をすり潰すのに適した臼歯が奥にずらりと並んでいます。更に胃袋が幾つかに分かれ、反芻を繰り返します。顎の動かし方も上下動ではなく、前から見ると四角に回転させているのがわかります。これは臼歯で効率よく食物を砕くのに適しています。
さて私共人間ではどうでしょう。正面から前歯が四本、犬歯一組、小臼歯二組、大臼歯三組と上下合わせると、三十二本の歯があります。犬歯は退化して、その形を残す程度です。鬼や般若の面などでは、牙である犬歯を大きくして恐ろしい顔を表現しています。日本では顎が退化し始めたのか一番奥の大臼歯は親不知と呼ばれて邪魔者扱いされ、抜くのが普通です。この様に歯並びと臼歯の数から判断すると、私共の食性は肉食ではありません。
今度は消化器について魚類で観察して見てみましょう。鮒や鯉のような草食性の魚は腸が大変長くできています。それに対して肉食性の魚の腸は驚く程短かいのが普通です。獲物の小動物は栄養価が高く、吸収されやすいので、長い腸を必要としません。
この様な歯と消化器、とくに腸に見られる特徴から人間の食性を判断すると、前歯と臼歯とが良く発達しており、腸が比較的長いことから、草食動物に近い食性と言えます。長い人類の歴史の中で、肉が常食になったのは、有史以降のことでしょう。よく私共黄色人種は農耕民族、白人は狩猟民族のように言われますが、狩猟民族と言われた人たちも歯並みは同じで、長い植物採集の時代を経験しているはずです。最近の調査で私どもは白人より腸が20センチも長いことが分かりました。
いま私共の食生活はどうでしょう。動物質が主で植物質が従です。しかも、半世紀を経ておりません。いまや飽食の時代と言われ、子供の肥満や小児の成人病が出現し、硬焼き煎餅や炒り豆が嫌われる時代です。柔らかい物しか食べないので、顎が発達せず、細くなって八重歯の子女が目立つようになりました。成人病を生活習慣病と呼ぶようになり、国民の誰もが、糖尿病、高脂血症、高血圧の予備軍と言われております。
戦争前後の食料難の時代に食べた玄米や粟、稗、大麦、果てはこうりゃんやとうもろこしのような雑穀が混合され、今や「十穀」なる名称で健康食品として再登場し、最高級のコシヒカリやササニシキのなんと三倍で売れているのは、歴史の皮肉です。
歯並びからすれば、人間は本来草食性で、「ベジタリアン」のような食生活に、ごく少量の動物質を加えるだけで十分で、消化機能に適した食性と言えます。人類全体がベジタリアンに戻れば、成人病だけでなく争うことも少なくなるでしょう。肉屋の店先で霜降りの肉塊を見て「まあ美味しそう!」とつぶやく美しい八重歯のご婦人が、家畜の目には、恐ろしい般若に映るのではないでしょうか。