おくすり千一夜 第三十六話 五疳薬を愛用すると、なかなか死ねない?
戦前、人は亡くなる前に必ず強心剤のお世話になりました。当時の流行薬にカンファーやビタカンファーがあります。カンフル注射という言葉をご記憶の方も多いと思います。最近は、合成や天然の優れた強心剤が医療に提供されております。例えばジギタリス葉から抽出されたジギトキシンやジゴキシンを初め、多くの強心配当体が臨床で使われております。またカフェインの複合体や、生体内に存在する神経伝達物質(カテコールアミン)の誘導体や、強心利尿ペプチドなどの薬剤が使われております。
六神丸のような五疳薬には蟾酥(せんそ)が配合されており、これに数種の強心配当体が含まれていることから、近頃「五疳薬を飲み続けると、臨終の時なかなか死ねない」という変な噂が広まっているようです。
人はほんとうに五疳薬を飲み続けると死ねないのでしょうか。戦前・戦後と現在とで、人が臨終を迎える様子が変わってきました。以前、人はお産と臨終とを家で迎えたものですが、現在はほとんど病院です。病院では最新の医療技術を駆使して、患者を一分でも長く活かす努力をします。それが道徳的に善であり、正しいことであると考えられているからです。助かる見込みのない患者を、適当な時点で治療を中止するのは悪であるという考え方が支配的です。 乳児が余命いくばくもないことを医師から告げられたら、医師の忠告を振り切って母親がわが子を自宅に連れ帰った事件?があり、担当医は診療歴三十年で初めての出来事だとショックを受けたという逸話があります。
人や動物が死に至る過程の多くは、最初が意識の喪失です。この状態では栄養補給が出来ないので、鼻や静脈へ挿管して補給します。次が自発呼吸の停止です。これも人口呼吸器の装着で解決しますが、この段階を「植物人間」と呼びます。そして心臓が一時停止しても、救急医療で見られるように強力な電気ショックと強心剤とで、生命の持続が可能です。この時点の患者を世間では「マカロニ人間」呼びます。これでは死にたくても死ぬことも出きません。意識が回復しても意志表示出来ない状態です。
医師は「自発呼吸と心臓の停止、そして散瞳や瞳孔反射の消失」を確認して生死を判断します。
一部の医師の中には親族の集まった頃合を見計らって、ご臨終を演出して下さる方もあるやに承っておりますが、公にできる話ではありません。
このような治療の現状に対して、自宅で家族に看取られながら死を迎える「尊厳死」を希望する人達が増えて来ました。しかし患者がどの段階で治療を停止し、尊厳死を実行するかは、事前に患者による意志表示と医師の了解とが必要です。
患者の臨終の近いことを医師から知らされ親族が患者の枕元に集まったが、なかなか亡くならないということは病院では日常茶飯事、医師の判断誤差が許される範囲です。
たまたま患者が六神丸の愛用者だと、臨終の遅れに対する集まった人達の鬱憤が、六神丸に向けられ、表題のような言葉になったと考えられます。もし五疳薬にこの様な効果があるならば「五疳薬は実は不老長寿の妙薬」なのかも知れません。