おくすり千一夜 第三十八話 落語の葛根湯医者は薮??
落語に枕噺に葛根湯医者というのがあります。町の衆がやってきて「先生、今朝ほどから頭が痛てーんですがー」と訴えると。先生「頭痛だな、それでは葛根湯をあげるから煎じて飲みなさい」。また別な患者が付き添われてやってきて「先生、夕べっから腹くだしが始まってお腹が痛いそうですが」。すると先生「腹痛だな、それでは葛根湯をお上がり」。先生「そちらの方は? 」。「いえ、私は付き添いで来ただけで」。先生「まあいいから、お前さんも葛根湯をお上がり。」というわけで、この先生どんな症状の患者にも葛根湯を処方したことから「葛根湯医者」という名前を頂戴してしまったようです。この先生、漢方を本当に知らなかったのでしょうか。それとも、落語を面白おかしく聴いている大衆の方が何も知らなかったのでしょうか。先生が色々な症状の患者に葛根湯を処方したのは、実は正しいのです。漢方の法理に基づいているのです。その理由をこれからお話しましょう。
江戸時代、我が国で行われていた漢方医学は、おもに「古方」と呼ばれるもので、今から二千年以上も前に完成された「傷寒論」(しょうかんろん)と「金匱要略」(きんきようりゃく)と呼ばれる古典の治療方法に基づいており、落語に出てくる先生もこれに沿って葛根湯を処方されたと考えられます。
古方の治療大系を一言でいうと、人間が健康な状態から、病気になって、徐々に衰弱し死に至るまでの過程を大きく六つに区分し、発病初期を太陽病期、それから少陽病期、陽明病期、太陰病期、少陰病期、最後の厥陰病期を経て死に至ると考えられております。 初期の太陽病期では体力の方が病毒よりも勝っており、陽明病期と太陰病期の間では両者が競り合っており、厥陰病期では病毒の方が体力を上回っている状態を意味します。ですから体力のある太陽病期では侵入してきた病毒に対して体が積極的に応戦し、その様子が頭痛、悪寒、発熱、脈浮、関節痛、筋肉痛等となって現れたと考えます。
太陽病期の治療の原則は発汗です。水分の多い温かい物を沢山とって一汗かくことです。そうすれば病状は回復に向かいます。体を温めるには左利きには卵酒が一番、酒が駄目ならネギ味噌湯よし、ショウガ湯よし、梅干しと熱い番茶も良いでしょう。子供向けにはクズ湯も効果があります。上述の葛根湯を一緒に飲めばもっと効果があるでしょう。
風邪は万病のもとと言われますが、他の病気も風邪の初期症状に似たものが多いのです。葛根湯は本来は風邪薬ではありません。風邪の初期症状にも効くということです。
さて太陽病に用いられる漢方薬としては、健康で抵抗力もあり体力の充実している人(実証の人)には第一が葛根湯、それに麻黄湯、葛根加半夏湯、大青竜湯、小青竜湯が使われます。病的ではありませんが、やや体力や抵抗力が劣り、虚していると言われている半健康の人(虚証の人)は頭痛、発熱、関節痛に加えて、腹痛、下痢、寝汗を伴い、この証の患者には桂枝の入った桂枝湯をはじめ桂枝加葛根湯、桂枝加黄耆湯、桂麻各半湯、桂枝二越婢一湯、小青竜湯が適当と言われております。風邪をこじらせた場合は少陽病と呼ばれ、柴胡桂枝湯が使われております。
このように漢方では問診や望診、触診で患者を診ることによって病気がどの時期に当たるかを判断し、初期の太陽病期には病気の種類に関係なく葛根湯が使われることが常道なのです。とすると落語に出てきた「葛根湯医者」は本当は名医だったかも知れません。