おくすり千一夜 第三話 老化の仕組みの不思議

薬の究極の目的は不老不死と言えましょう。自然界を観察すると、秋には木々は色づき葉を落とします。我々の体も全ての組織で新陳代謝が盛んで、毎日三千億個もの細胞が死に、同じ数が新生され平衡を保っております。赤血球も白血球もリンパ球も腸管粘膜も骨も皮膚もみんな毎日死んでは補給されているのです。

木の葉や体の細胞は死ぬべくプログラムされているそうです。この現象は「アポトーシス」と呼ばれ、最近脚光を浴びております。細胞が自ら死のプログラムを発動させ自殺して行くことを言います。オタマジャクシがカエルになる時に、尾が失われるのは、遺伝的なプログラムに従って細胞が死んで行くからです。大腸菌やカビなどは条件さえ良ければ、分裂をつづけ寿命がありません。ガン化した細胞も同じで何十年でも培養可能です。

ところが正常な組織はこれが有限で、人間の皮膚細胞を培養すると、どんなに条件が良くても、分裂が五十~七十回程で停止してしまいます。正常の細胞には限られた回数の分裂と、死ぬ運命とが、遺伝的にプログラムされているらしいのです。若い人から採った組織の分裂回数は、高齢者のそれより多く、すでに寿命のカウントが始まっていることが証明されました。

また、動物の寿命と細胞の分裂回数との間には直線関係のあることがわかりました。

百年の寿命をもつ人間の細胞の分裂回数を五十~七十回とすると、寿命十年のウサギは十回、三年のマウスは十回以下で、人間より長寿のカメは百回を越えたといいます。しかも分裂回数が遺伝子に記録されていることがわかってきました。それは遺伝子の構造の中で、「テロメア」という意味のない繰り返し部分の長さに係わり、分裂の度にこの長さが短くなり、ある長さになると分裂不能になるのです。

脳神経細胞は反対に生後は分裂や増殖をせず、二十歳頃から、一日十万個程の脳細胞が死んで行きますが、変化は見られません。その理由は脳には百四十億個もの細胞があり、予備能力が極めて高く、五十年間に一日十万個ずつ細胞が死んでも、13%程度、百歳になって初めて20%が死ぬ計算です。一方、使われている神経細胞は10%程度です。ですからボケない百歳老人がいるのも当然で、脳出血や脳障害で機能を失っても「リハビリ」すれば回復するのはそのためです。

免疫系にも老化が起こります。免疫を司る臓器に胸腺があります。胸腺は老化を最も鋭敏に反映する臓器です。生後から十代まで重量が増し、35グラム程になります。その後は加齢と共に縮小し、六十歳ごろには15グラムくらいになり、その大部分は脂肪で実質は5グラム以下になってしまいます。

これほど加齢の影響を受ける臓器は他になく、胸腺は老化の体内時計と言われております。

六十歳代になると作り出される免疫細胞は十分の一に減ってしまうそうです。老人の死因の第一は感染症で、これを日和見感染と言い、無害な微生物も老人には致命的な病気を起こします。老人結核はいま大問題で、老化で免疫系に欠陥が生じたことを意味します。

さらに恐ろしいことは、胸腺の萎縮で「非自己」の免疫能が、低下するだけでなく、「自己」を破壊する免疫抗体の産生が促進され、自己免疫疾患を発症するらしいのです。この現象は「免疫系の崩壊」であり、加齢とか生理機能の衰退などという生やさしいものでは無いことがお分かり頂けたと思います。


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