おくすり千一夜 第六十四話 過ぎたるは及ばざるより悪し!
近頃、新聞やテレビで著名人の訃報を見聞きすると、まだまだ活躍されるべき方なのに、国家的損失だと思います。そして死因に肺炎の多いのが気になります。免疫力の低下で病魔に勝てなかったのでしょう。以前なら優秀な抗生物質のお蔭で直ちに回復したはずです。免疫力が低下すれば死を待つのみとは、医療は何をしているのかと言いたくなります。
肺炎をはじめとする感染症に特効薬がなくなってしまったのは、これまで抗生物質を乱用し続けたからです。殆ど全ての抗菌剤に耐性菌が出現し、新聞の見出しに「感染症の最終兵器も無力」という恐ろしい表題すら見い出すことができます。
そこで、今回は歴史的経緯について紹介したいと思います。四半世紀前、病院で使用される医薬品費の第一位は抗生物質でした。当時、我が国と海外での抗生物質の使用量を比較したところ、英国とアメリカの年間一人当たりの消費量は1:3で、アメリカの方が3倍多く、またアメリカと日本の消費量の比も1:3でした。我が国では英国や北欧の実に9倍もの抗生物質が使われていたことになります。軽症の感染症の治療や予防にまで複数の抗生物質が豊富に使われておりました。まさに闇夜に鉄砲も数撃ちゃ当たるの論法です。当時抗生物質の作用機序が明らかなことから、ドラッグデザインを駆使して新薬が世界中で次々と開発されました。しかも新しい抗生物質は実に良く効いたのです。その結果が日本を世界一の長寿国にしたのでしょう。
当時、抗生物質に関する研究会の席上で、耐性菌の出現を警告する意見が述べられ、もし可能なら抗生物質を一つづつ使って耐性菌が出現したら、別の抗生物質を使うことが治療の理想だと個人的見解を述べられた細菌学の大先生がおられましたが、問題視されなかったことを覚えております。
やがてメシチリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)が現れ、類似した構造のβ-ラクタム抗生物質の全てに耐性菌が出現してしまいました。β-ラクタム抗生物質といえばセファロスポリンやペニシリンの誘導体のことで抗菌スペクトルも広く、副作用も比較的少ない抗生物質でした。耐性は全ての抗生剤に広がって行きました。
そこで登場したのがバンコマイシンです。バンコマイシンは消化管から吸収されにくいので、腸内殺菌剤として使用されておりました。耐性菌に効力もあり耐性のないことから純度を上げて注射剤も提供されるようになりました。バンコマイシンは他のほとんどの抗生物質に抵抗性を示すストレプトコッカス・ニューモニエ(肺炎連鎖球菌)やエンテロコッカス(腸球菌)の幾つかの株に対する最後の防衛線として登場した薬剤といえます。
肺炎連鎖球菌による肺炎だけでも,今,世界中で毎年百万人以上が死亡しているそうです。このバンコマイシンも抵抗性を示す菌株が一例発見されてから、わずか十年の間に,検体の半数52%まで拡大してしまいました。
さらに困ったことは抗生物質に抵抗性を示すものだけでなく寛容性を示すものがあらわれたことです。抵抗性は薬物があっても増殖を続けるので容易に判別できますが,寛容性は増殖は停止するが,死滅せず,治療を止めれば再発するので脅威です。目下、新たな対応方法が検討されつつありますが,研究段階であり,実用化には至っておりません。本当に困ったことです。
追補 :
2006年7月7日の新聞やテレビ報道によりますと、埼玉医大病院(埼玉県毛呂山町)で入院患者約100人から複数の抗生物質が効かない多剤耐性緑膿(りょくのう)菌が検出され、うち男女6人が死亡したとされることなどを受け、厚生労働省は6日、院内感染防止対策を徹底するよう都道府県などに通知しました。 通知は「免疫力の低下した人に感染した場合には死亡することがある」と注意を呼び掛け、医療機関への指導などを求めました。緑膿菌は何処にでもいる無害な菌ですが、人間の体内に入り込んで繁殖するとは驚きです。それに抗生物質が効かないとは!まさに抗生物質の乱用の祟りが今始まったと言えましょう。