おくすり千一夜 第六十五話 消化管から吸収される分子の大きさは?
食物繊維という言葉があります。野菜や穀物にはそれぞれ繊維状の部分があってそれらが便秘を防ぐので体に良いと言われております。繊維とは本来、糸状のものと考えがちですが、水に溶けてしまっているものでも、吸収されなければ食物繊維の範疇に入れられているようです。
一体、動物の消化管は分子量がどの程度の大きさまで吸収できるのでしょう。筆者はこのことに関して面白い実験をしたことがあるので御紹介します。
その前に一般論をお話しましょう。消化管の中に入ってきた食物は肉も野菜も御飯も、その殆どが高分子の物質で、直接役には立ちません。これらが消化酵素によって分解され、お米やお芋のような澱粉類はブドウ糖に、肉や魚のような蛋白質はアミノ酸に、そしてバターやサラダオイルのような油は、脂肪酸とグリセリンに分解され、吸収されます。これらの食物分解物は肝臓に送られて、体に必要な高分子に再合成され、血となり肉となると言われております。
従って草のようなセルロース繊維は、人間は消化酵素を持たないので消化できません。家畜では牛のように胃袋が幾つかに分かれていて、セルロースを分解するバクテリアが胃の中に寄生しており、反芻をくり返しているうちに繊維質も消化してしまいます。
筆者の実験はここから始まります。1980年、「ランセット」という世界的な学術誌に「分子量が数十万の血友病の凝固因子が経口投与で吸収され、活性を示した」という論文が発表されました。この論文がもし正しければ、分子量1000以上は消化管からは入らないという生理学の常識が覆されることになり、大事件です。
当時、薬物の吸収排泄を研究していた筆者には大変なショックでした。以来十年近くこの問題に首を突っ込み、まず分子量二万前後の血液の固まるのを抑えるヘパリンや、糖尿病に使われるインシュリンを用いて経口吸収試験を行ないました。その結果得られた結論は次のようなものでした。
まず、高分子物質の吸収をその活性で見ようとすると、分解されて分子量が小さくなっても、ある程度の活性を示す場合があり、あたかも高分子のまま小量が入ったような錯覚を起こします。また薬物に同位元素をつけその挙動で追跡すると、同位元素を組織中に確認できても、高分子物質そのものが吸収されたことにはなりません。
論文誌に掲載されれば、それは真実であるとして販売されている医薬品に、セラチオペプチダーゼや塩化リゾチームのような消炎酵素剤があります。同時に行なわれていた動物試験の結果も再現性の乏しいものが殆どでした。
その後、判ったことは生体は生理学で言われているほど、緻密な組織の塊ではないということです。細胞と細胞の間には高分子が通過できる隙間のようなものがあり得ること、また細胞表面にはエンドサイトシスという物質を膜でくるんで飲み込んでしまう機能があり、その機能が発揮されれば高分子も吸収可能と考えられるようになりました。これらに共通していることは吸収量は腸内滞留時間に比例し、その量も最大で三千分の一程度です。かりに細胞内に潜り込めても、そこで消化されてしまい、幾つもの細胞や組織を通過して、循環血に乗り、目的とする組織に到達して作用を発揮することはまず皆無というのが現在の常識です。発表された論文は全てが正しいと考えるのは誤りなのです。物事は全て疑ってかかれば真実に近いものが見えてきます。
他人の仕事は・・・
「他人の仕事(論文)は疑ってかかれ、そうすればいずれ本当のことが解ってくる」恩師の石館守三先生にそう教わったと、鬼さんは常々申しておりました。今やコンビニでもネットでも「酵素」を謳ったサプリメントが大流行、分子量から見れば美容のためにコラーゲンを摂るのも疑問です。真実が知りたいものです。