おくすり千一夜 第八十六話 君の名は?ヘリコ

ヘリコバクター・ピロリー(Herikobacter pylori)という細菌の名前を御存じでしょうか。でもその由来まで知っておられる方は少ないと思います。この細菌は1982年にオーストラリアで胃の中から発見され、回転する螺旋状(ヘリックス)の尾を持った細菌(バクテリア)で、胃の出口、幽門部(ピロルス)に寄生していることから「ヘリックス-バクテリア-ピロルス」を1989年、ヘリコバクター・ピロリーと命名したのだそうです。

この細菌がなかなか見つからなかった理由は、胃の中はpH1程度と強い酸性で、胃には細菌など住める筈がないというのが常識だったからです。

調査の結果、私共は40歳代で70%、60歳代では何と80%もの人がヘリコバクター・ピロリー(以下単にピロリ-菌)に感染していることが明らかになりました。

またピロリ-菌が胃の中でどのような悪戯をしているのか、だんだん分かってきました。胃の病気と言えば、胃炎、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、萎縮性胃炎それに胃癌があります。胃炎や潰瘍は、暴飲暴食、それにストレスが原因と考えられます。

暴飲暴食による急性の胃炎は、原因を除けば回復しますが、潰瘍は一度なると再発を繰り返すのが常です。しかも潰瘍の患者には更に高い確率でピロリ-菌が見い出され、除菌すると再発が激減することから、ピロリ-菌は消化性潰瘍の原因菌ではないかと考えられるようになりました。

ここで、これまでに明らかになったピロリ-菌の性質についてお話しましょう。ピロリ-菌が胃の強い酸性の中で生きられるのは、体の中にウレアーゼという酵素があって、体内や周囲に存在する尿素をアンモニアと炭酸がスに変え、胃酸をアンモニアで中和しながら、鞭毛という尻尾を使って速やかに胃粘膜内に潜り込むことで、生き続けることができたのです。粘膜は胃酸分泌細胞から出される酸から胃自身を守るために粘液を分泌します。この中には重炭酸イオンが含まれているので、ピロリ-菌が生活し易い中性に保たれているのです。また粘液にはピロリ-菌の栄養源になるムチンが大量に含まれております。

ではピロリ-菌がいると潰瘍になり易いのはなぜでしょう。ピロリ-菌はウレアーゼだけでなく細胞を空胞化してしまう毒素を分泌し、これらが人の免疫能を刺激して、リンパ球や白血球が局所に集まり、胃炎状態になると考えられております。さらに活性酸素(フリーラジカル)を産生する好中球が関与して粘膜が障害されるという説も有力視されています。諸説があってメカニズムが確定したわけではありませんが、ピロリ-菌の存在が潰瘍や萎縮性胃炎の原因と考えるのは間違いないようです。

筆者は先に73話で低酸症について解説しましたが、これもピロリ-菌が関与しているように思われます。

ピロリ-菌がいなければ、潰瘍や萎縮性胃炎の回復も早く、再発の少ないことから、アメリカのNIH(国立衛生研究所)は1994年に「すべてのヘリコバクター・ピロリー陽性の消化性潰瘍は、酸分泌抑制剤に抗菌剤を加えた除菌治療をすべきである」との結論を表明しておりますが、我が国ではまだ健康保険の適応が得られておりません。また癌組織の近くにもピロリ-菌が存在しておりますが、発癌との因果関係は解明されていないようです。

追補 1 : 平成12年9月18日、厚生省はヘリコバクター・ピロリー除菌のための効能追加申請中の併用三成分(ランソプラゾール、クラリスロマイシン、アモキシシリン)について、承認後も当分保険適用をしないそうです。理由は検査法が保険適用でないから。でも、いずれは認められることでしょう。

ランサップ

この併用三成分は『ランサップ』と名づけられて平成14年(2002年)12月に薬価収載されました。そして、平成25年(2013年)になってようやく、「内視鏡検査において胃炎の確定診断がなされた患者」等が保険適応になりました。
しかし、2018年(平成30年)には販売が中止され、ランソプラゾールに替りボノプラザンフマル酸塩錠を採用した『ボノサップ』が使用されています。

追補 2 : 平成17年10月、発見者の西オーストラリア大のバリー・J・マーシャル教授と同国のJ・ロビン・ウオーレン医師にノーベル賞が贈られました。

追補 3 : 平成18年9月5日
ヘリコバクター・ピロリ菌に感染している人はそうでない人より5.1倍胃がんになりやすく、委縮性胃炎や毒性の強い菌の感染が重なると危険度が10倍以上に高まるとの疫学調査の結果を、厚生労働省研究班(主任研究者・津金昌一郎(つがね・しょういちろう)国立がんセンター予防研究部長)が4日発表しました。  ピロリ菌は40歳以上の日本人の70%以上が感染しているとされ、過去の調査では危険度は高くても3倍弱でしたが、考えられていた以上に関係が深いことが示されました。

ただ、研究班は「胃がんは喫煙や食生活による影響も非常に大きい」と指摘しており、ピロリ菌を薬で除菌する治療に関しては「副作用や胃がん予防効果が未知数なため慎重に行うべきだ」としています。  研究班は、岩手県や長野県など9地域で、40-69歳の男女約4万人を1990年から15年間追跡調査。胃がんになった512人の保存血液を使い、ピロリ菌感染時にできる抗体の有無などを調べました。

このうち94%がピロリ菌に感染。感染者は非感染者に比べて5.1倍胃がんになりやすく、CagAという遺伝子を持ち毒性の強い菌の場合は危険度が12.5倍に高まることが分かりました。また委縮性胃炎を起こしている人は健康な人より3.8倍胃がんになりやすく、ピロリ菌にも感染していると危険度が10.1倍に跳ね上がったそうです。

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