おくすり千一夜 第八十八話 ダイオキシン問題をどう捕らえるか
今から60年程前、筆者が小学生の頃、こんな教育映画がありました。題は「海の水は何故塩辛いか」。ストーリーを正確に覚えていませんが、内容は以下のようでした。「むかしむかし、田舎のある家に家宝の石臼がありました。不思議なことにこの石臼を回すと塩が出てくるのです。ある時、欲深い男が石臼の秘密を知ってしまい、臼をこっそり持ち出し、京へ行って大儲けをしようと考えました。首尾良く臼を手に入れた男は小船に乗って京に向かいました。男は早速船の中で臼を回してみたくなり、試してみると、手で回さなくても臼が廻って塩が臼の間から出始めました。男は「俺様はこれで長者さまだ!」と大喜びでした。しかし臼の止め方を知らなかったので、塩は見る見る小舟一杯になり、とうとう船もろとも臼も欲深な男も沈んでしまいました。海の底では今もこの石臼は回り続けているのです。」と言うお話です。
ダイオキシンを考える時、このお伽話の石臼から出る塩とダイオキシンとが重なり合って筆者には見えてきます。どんなに海の水が多くとも、いずれ海は塩で溢れてしまうでしょう。十九世紀までは、邪魔な物は燃すか、海に流せば、それでおしまいでした。
いま私達は有史以来の恵まれた生活を享受しています。世界中の美味しいものを食べ、石油が一滴も出ないのに、ピカピカの車を当然のごとく乗り回し、都会の夜は宝石のようにネオンで輝いています。相変わらず大量生産、大量消費が美徳!として、生きているのです。戦前の生活水準に戻ろうといくら叫んでも無理でしょう。
ダイオキシンの毒性が問題になり始めたとき、これは環境を破壊し汚染してきた人類に対する創造の神の怒りか祟りではないかと考えるようになりました。
ダイオキシンは塩素を含む有機物を燃やせば必ずできる猛毒な物質です。戦後、人類は塩から塩素を、石油からエチレンを作り、これを組み合わせて「塩ビ、塩化ビニール」という大変便利で応用範囲の広い原料を作り上げました。目下塩ビが公害の元凶と見なされていますが、我々の生活必需品のあらゆるところからダイオキシンは発生しているのです。
農薬の殆どが塩素化合物で、これの散布された果樹を燃やせばダイオキシンは発生します。紙や繊維を白くする過程でも発生します。タバコの煙りの中にもダイオキシンがあるのです。高温で廃棄物を燃せばダイオキシンの発生は少なくなりますが、今度は自動車の排気ガスと同様の窒素酸化物が発生してきます。
ダイオキシンは人類が目的をもって作った物質ではありません。知らず知らずの内に出来てしまった「悪魔の物質」なのです。代表格の2,3,7,8-テトラ・クロロ・ジ・ベンゾ・パラ・ジ・オキシンの毒性は青酸カリの二万倍、サリンより数倍強いそうです。ですから普通では問題にならないような極微量で毒性が現れ,環境ホルモン様作用や発ガン性や遺伝子に異常をきたすことが分かってきました。
ダイオキシンの発生源は81 %が一般の家庭から出る廃棄物の焼却によるものです。13%が産業廃棄物焼却、5%が金属の精錬過程だそうで、家庭から毎日出るごみについて分別収集などを行なえばダイオキシンの発生量を極めて少なくすることが出来るはずです。
二十一世紀はまさにダイオキシンの恐怖に曝された世紀と言えます。人口の減少と奇形と癌の多発、恐くて子供が生めないということも、このままでは現実味を帯びてきてしまいます。みんなで対策に協力しようではありませんか。